2006年12月にドーハで開催あされるアジア大会の競泳日本代表として、アテネ五輪男子平泳ぎ2冠の北島康介(23日本コカ・コーラ)らの男子22名、女子14名の計36選手が決定。アジア大会の選考基準を突破した選手の中で男子背泳ぎの森田智己(22セントラルスポーツ)や女子自由形の柴田亜衣(24チームアリーナ)、山田沙知子(23コナミ東日本)、同背泳ぎの伊藤華英(21セントラルスポーツ)の4名が参加辞退。
第1回開催は、1948年ロンドン・オリンピック後に、アジアから参加したインド、フィリピン、朝鮮、中華民国、セイロン、ビルマの6ヵ国の代表が、4年に一度「アジアの総合競技大会」を開くことで意見が一致、第1回大会を1950年秋に、インドのニューデリーで開くことを決めた。この時に中心的役割を果たしたのが、インドのソンディ国際オリンピック委員会(IOC)委員であリ、その功績によりソンディ氏は「アジア大会の父」ともいわれている。
第1回アジア大会を開催することになったインドは、実施競技が陸上、水泳(競泳、飛び込み、水球)、サッカー、バスケットボール、ウエイトリフティング、自転車の6競技と決まった。ところが、発注した競技用具が競技の日までに間に合わず、予定よりも約半年遅れて開催された。
第3回東京大会からは、メダルを取りすぎるなどの理由から、陸上競技、水泳などの個人種目は従来の1ヵ国三人から二人に制限された。
-出典:JOC-