1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピック(1932年)競泳で5種目を制したことから「水泳王国」として日本が世界に認知されるようになった。
-出典:sportsnavi.com- 戦前の日本は水泳王国だったし戦後も古橋廣之進や橋爪四郎らを筆頭に潜水泳法の古川勝や、金こそ取れなかったものの山中毅や田中聡子らが活躍していた。
ところが東京の800mリレーの銅メダルや1972年ミュンヘンの田口信教と青木まゆみの金を除くとメダルはおろか決勝にすら残れない種目が 多く、特に76モントリオールや1984年ロスなどは悲惨な成績だったのも 記憶に新しい。
その後1988年ソウルで鈴木大地が1992年バルセロナで岩崎恭子が金を取った ものの複数メダルを取れるという雰囲気は無く、決勝進出し入賞者が 出れば嬉しいというレベルだった。
だからこそ96年アトランタでメダル0に終わっても決して驚かなかっ たし、いつものパターンだと思っていた。
ところが2000年シドニーで銀2、銅2を取った後に北島康介が台頭してアテネで金を2つ取ると勢いに乗り金3、銀1、銅4と合計8個のメダ ルを獲得するまでに躍進するのだから一時期まことしやかに言われた ‘対格差があるので日本人は平泳ぎ以外は通用しない’というのが暴論 だった事が証明された。
結局は一握りのメンバーを少数精鋭で強化するだけではなく若年層 からしっかり強化し、代表では所属クラブの垣根を取って臨むという 当たり前の事をやっていくというのがいかに大事かというのが分かる。