Questions:アテネオリンピック。メダルラッシュに沸く水泳日本!北島康介くんは「東京スイミングセンター」ですが,底辺を支えた人たちがたくさんいたんですね。
Answers:東京オリンピック以来の金メダル数に湧いたアテネ2004。水泳界では,丁度40年前の東京オリンピックの惨敗した後に,水泳日本の復活を合言葉にスイミングクラブが誕生していきます。北島選手が育った東京スイミングセンターもそのひとつです。
水泳の一貫教育を理想に,たくさんの水泳コーチが現場の指導に情熱を傾けました。現在のスポーツクラブやフィットネスクラブといわれるものは,このスイミングクラブの土台の上に築かれました。
スイミングクラブが地域型のスポーツクラブから,全国展開のスポーツクラブに様変わりするのは,フィットネスって儲かるかも?と認識されだしたころからです。
ブームで大儲けはできなくても堅実に稼げる。これによってマネーが業界に流れ込み,比較的小資本でできたプール経営も,より専門的な運営ノウハウが必要とされるようになって行きます。
そういうときには必ずといっていいほど,即座に立場を入れ替えられる頭のいい人たちがいて,昨日まで現場で指導者として働いていたのに,急にマーケッターになって「顧客満足」などといったりします。
昨日までは「給料上げろ!」といっていた人たちが,「人件費削減」とか「経営の安定」と言い出します。こんな変わり身の早い人はごく一部で,ほとんどの現場の指導者は真面目に教え子の明日を考え,日本スポーツ界の未来を考えています。
この一部のいいとこ取りをするエセ指導者たちを,こずるい小資本家が見逃すはずがありません。うまく言いくるめて,教育費のかからない指導者?を配置して,コンビニクラブを大量に全国展開してしまいます。地道に活動する実直な指導者がいなって,公共の施設と変わらない施設だけがあるスポーツクラブが乱立しています。
熱い理念に燃えた地域のスポーツクラブ経営者がいて,情熱を持った指導者に引き寄せられるように,客が集まってくる。そんな泥臭い地域活動の中から,一人一人の地域代表が誕生するようになりました。このことは学校水泳の延長では不可能だったと思います。
投稿者さんは大変恵まれています。地域を大切にしてください。その地域になくてはならないスポーツクラブにして行ってください。地域の皆さんが応援してくれるはずです。