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前畑秀子(まえはたひでこ)

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1914-1995 和歌山県橋本市生まれ。
日本の女性初のオリンピック金メダリスト。

橋本市の南を流れる紀ノ川で水泳に親しみ、小学校五年生の夏、学童水泳大会で50メートル平泳ぎに学童記録を出して注目されるようになりました。

しかし、父親が病弱だったので、小学校を出たら家業の豆腐店を手伝うことになっていました。秀子の才能を惜しんだ校長のすすめで、高等科に進学して水泳を続けることになると、次々と日本記録を出していきます。高等科が終わりに近づくころには、名古屋の椙山女学校から誘いがあり、さらに水泳を続けることができるようになりました。

ところが、女学校に入学して間もなく母が病死、その五ヶ月後に父親もこの世を去り、後に残された五人の兄弟の一番下の弟はまだ小学生でした。秀子もいよいよ退学の決意をしますが、ここでも女学校の校長や親せき友人らの励ましによって練習を続けることができるようになり、春は風呂に浸かりながら一日二万メートルの猛練習に励みます。

当時の日本は国際社会から次第に孤立化していく時でしたから、秀子の活躍に多くの国民が声援を送り、彼女もその声援に応えるべくひたむきな努力を続けました。

初めての出場となった1932年のロサンゼルス・オリンピックでは200メートル平泳ぎで0.1秒差の二位となり、ぜひとも金メダルをとの人々の期待にこたえ、20歳を過ぎてのオリンピック出場の決意をします。

その4年後のベルリン・オリンピックの200メートル平泳ぎで、地元ドイツのゲネンゲル選手との大接戦を演じ、日本の女性として初めての金メダルを獲得しました。このレースは日本国内でもラジオの実況中継があり、アナウンサーが連呼し続けた「前畑がんばれ!」とゴール前の「勝った!勝った!勝った!」は長く人々の心に残りました。
(産経新聞社 教科書が教えない歴史 野原清嗣著より)

[最終更新日] 2017/02/28
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